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コーチング視点でオリンピックをふりかえる②

2021/08/19

コーチングのコーチの視点から、オリンピックの監督やコーチ、選手のリーダシップについて、先週よりブログでご紹介しています。

今週は、競泳女子400m個人メドレーと200m個人メドレーで金メダルを獲得し、日本競泳女子初の2冠という偉業を達成した大橋悠依選手と、それを支えた平井伯昌コーチに注目します。平井コーチは、男子平泳ぎでアテネ五輪、北京五輪と2大会連続で金メダルを獲得した北島康介選手を育てたことでも有名なコーチです。

 

200m個人メドレーで僅差を制し、金メダルが決まった瞬間の大橋選手のガッツポーズと、表彰式後に平井コーチと抱き合って喜ぶ姿がとても印象的でしたね。
レース後の会見では、「一番感謝しているのは平井先生」と語っていました。
しかし、二人の関係は決して順風満帆というわけではなかったようです。

 

高校時代は目立った実績もなく、自分に自信がなかった大橋選手ですが、スケールの大きな泳ぎに才能を見込まれ、平井コーチが指導する東洋大学にスカウト。
大橋選手は、泳ぎで悩むと「もう無理です」と何度も泣いた。
大学時代は、重度の貧血に悩まされ2015年の日本選手権で最下位になった時には「水泳を辞めます」とまで言った。
のたびに平井コーチは「お前には才能があるんだから」と説得。

 

平井コーチとは衝突し合うことも多かった。
昨年12月には練習方針をめぐって意見が対立し、関係が悪化。大橋選手は実家に帰郷し、日本選手権を欠場。
東京に戻っても、“平井チーム”には合流せず、母校の学生と練習した。
それでも、いつも最後は「とことんお前と付き合う」と受け止めた平井コーチ。練習中に自らプールに飛び込み、40分間も話し込んだこともあった。

 

オリンピック直前まで不調が続いていた大橋選手。
6月末のタイムトライアルでは、満足いく成果を得られず、気持ちは後ろを向き続けていた。
突破口が見えず平井コーチを頼ったが「400mをやめるという選択肢もある」と言われた。要は、最後は自分で腹をくくれということ
「一晩考えた。メダルがとりたい。メダルに近いのは絶対に400m。自分でチャレンジすると決めた」と、腹をくくって最後の1ヵ月を過ごした。

 

 

どうでしょうか。
決して「強い選手」ではなかった、どちらかというと「ネガティブ体質」な大橋選手ですが、2冠という偉業を成し遂げる選手にまでなったのは、間違いなく平井コーチの支えがあったからこそ。
どんな時にも大橋選手を見捨てることなく、粘り強く見守ってきた平井コーチ。
何度も衝突し、気持ちが離れることもあるけど、大橋選手の弱い部分も含めて、才能を信じ、手を差しのべる。
だからこそ、大橋選手は強い選手になれたのでしょう。

 

今回のオリンピックを最後に、日本代表ヘッドコーチを退任する意向を示した平井コーチ。
今後は「東洋大の自分の担当選手をしっかりやるということに1度戻りたい」とのことですが、次のパリ五輪でも平井コーチの育てた「強い選手」の活躍を見たいですね。

 

参照:
『「もう無理」と泣く大橋、平井監督は「お前には才能ある」と説得…7年半の歩み「2冠」結実』
『歴史的2冠の大橋悠依 一時は衝突した平井コーチと抱き合い「先生が喜ぶ顔が見られたのが一番うれしい」』
『【総力取材】大橋悠依「皆でとった金メダル」引退危機、衝突乗り越え復活』